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豊見城市と沖縄戦について

豊見城市と沖縄戦

 このページでは豊見城市(当時豊見城村)が体験した沖縄戦について、資料やビデオを紹介しているページです。

 

歴史 豊見城村の体験した沖縄戦

 豊見城村(当時)は、沖縄戦において、特徴的な位置条件を占めていました。
 県都・那覇市に隣接し、日本軍の重要な施設であった小禄飛行場(現在の那覇空港)や那覇港を間近にひかえていたため、米軍の都市攻撃の余波を大きく受け、被害が拡大しました。
    
 沖縄戦直前には、那覇から糸満にかけての海岸が米軍の上陸予想地点に位置付けられたため、豊見城の沿岸部に住んでいた住民が、一時内陸部に移動させられました。そのほか小禄飛行場に隣接する補助滑走路として「与根飛行場」の建設があったり、さらに海軍司令部などの軍隊の拠点が置かれ、饒波川・国場川には水上特攻部隊が配備されるなど、豊見城の人々は、地上戦・航空戦・海上特攻など戦場の多様な場面に遭遇することとなりました。

 沖縄戦当時、豊見城村の人口は約9,000人でした。
 沖縄戦で亡くなった豊見城村民は約3,600名であり、約40%の住民が犠牲となりました。
 沖縄県全体の犠牲者は約25%であるため、豊見城村は県内でも犠牲者が多く出た地域です。

 そのうち村内で亡くなった人の数は、約1,100名で全戦死者の3人に1人が村内でなくなっています。
 最も多く犠牲者を出した時期は、1945年6月の約2,000人です。
 戦闘が激しさを増し、人々が南部へ避難し始めた5 月、6 月に最も被害が多いです。
さらに沖縄戦が終わった6 月以降も犠牲者がこれは戦争で受けた傷や栄養失調などによるものだったようです。


 戦争により貴重な文化遺産も破壊されました。真玉橋は、1836 年に石造橋として建設されて以来、那覇と南部を結ぶ交通の要衝として戦前までその美しい景観と威容を誇っていましたが、沖縄戦のとき、日本軍によって破壊されたと伝えられています。ほかにも豊見城城址や石火矢橋など市内の貴重な文化財が戦災で破壊されました。

戦争証言

 苛烈な沖縄戦を体験した豊見城の人々は、その当時の記憶をもとに証言資料を残しています。主に『豊見城村史 第6巻 戦争編』と『<映像資料>語り継ぐ受け継ぐ豊見城の戦争記憶』があり、個人でも戦争証言をまとめている方々もおります。
 こちらでは、平成29・30年に作成した『語り継ぐ受け継ぐ豊見城の戦争記憶』から文書資料や公式記録に残らない個人が体験した記憶の証言をご紹介します。

戦争証言動画はYouTubeで公開しております。
再生リストはこちらから(YouTubeページへ移動します)

https://www.youtube.com/playlist?list=PLi6Y1v8Eee0J8WtG-TLgC_Zl8uo2KQf3g
 

 

「語り継ぐ受け継ぐ豊見城の戦争記憶」総集編<完全版>

映文連アワード2019 「ソーシャル・コミュニケーション部門 部門優秀賞」 受賞作品


※画面の右下にあるアイコンを押すと全画面表示になり大きな画面で見れます。

01赤嶺宏さん(豊見城 村内避難真玉橋で銃撃 当時14歳)
02高良光昭さん(豊見城 山原疎開 大宜味村喜如嘉 当時10歳)

03平良ハツさん(積徳学徒隊女子学徒隊として第二野戦病院壕で看護 当時19歳)

04真喜志光子さん(積徳学徒隊女子学徒隊として第二野戦病院壕で看護 当時18歳)
05名城文子さん(積徳学徒隊女子学徒隊として第二野戦病院壕で看護 当時17歳)
06高良ツル子さん(宜保 山原疎開 大宜味村謝名城 当時11歳)
07金城キクさん(宜保 南部避難 1メートルごとに遺体 当時9歳)
08瀬長俊雄さん(我那覇 日本海軍上海陸戦隊に従軍 当時16歳)
09上原テル子さん(名嘉地 南部避難 離れた家族は永遠の別れ 当時9歳)
10比嘉亀次さん(瀬長 山原疎開 大宜味村田嘉里 当時13歳)
11安谷屋タケさん(与根 南部避難 母と2人の避難生活 当時15歳)
12大城シゲさん(伊良波 村内避難 名嘉地のサバキナ壕 当時17歳)
13大城辰男さん(伊良波 学童疎開 宮崎県北郷村(美郷町) 当時11歳)
14大城光雄さん(座安 南部避難 度重なる壕追い出し 当時10歳)
15高良健二さん(渡橋名 村内避難 スパイ容疑 当時14歳)
16宜保直志さん(上田 南部避難 壕で亡くなった祖父 当時12歳)
17大嶺文子さん(渡嘉敷 南部避難 喜屋武から決死の帰字 当時10歳)
18大城盛昌さん(翁長 防衛隊 上官のすすめで命拾い 当時17歳)
19高安亀平さん(翁長 山原疎開 と南部避難山原から南部へ戻る 当時15歳)
20當銘光清さん(保栄茂 南部避難 大人の英断に助けられて 当時12歳)
21金城利一さん(高嶺 南部避難 戦車隊中隊長の言葉 当時11歳)
22嘉数陽之男さん(平良 南部避難 幼い足で戦地を歩く 当時6歳)
23宜保フミさん(高安 南部避難 片手と家族を失う 当時23歳)
24平田春さん(高安 学童疎開 宮崎県岩戸村(高千穂町) 当時12歳)
25大城良子さん(高安 学童疎開 宮崎県岩戸村(高千穂町) 当時12歳)
26平田光枝さん(高安 学童疎開 宮崎県岩戸村(高千穂町) 当時8歳)
27又吉トミさん(長堂 女子青年従軍 戦車に自爆を覚悟 当時17歳)
28宮城右勲さん(長堂 南部避難 幼稚園生の訓練生活 当時6歳)
29赤嶺ハルさん(嘉数 学童疎開 宮崎県上野村(高千穂町) 当時14歳)
30金城静子さん(真玉橋 村内避難 自殺を止めた日本兵 当時28歳)
31外間清幸さん(根差部 南部避難 次々と家族を失う避難道 当時14歳)
 
 

 

戦争遺跡

戦争の記憶を留めるモノや関連するものを「戦争遺跡(戦跡)」と呼びます。
豊見城市内に所在する「戦跡」を紹介します。

戦争前

・御大典記念碑(保栄茂)
・紀元二千六百年祭記念掲揚台(保栄茂)
・デークガー(平良)
宜保のビジュン(宜保)
・与根飛行場跡(与根・翁長)
嘉数バンタ(嘉数)
 

この時期、こんなうごきがありました。
豊見城村内に日本軍の部隊が次々と配備され、ムラヤー(いまの公民館)や民家などにも軍隊が宿泊するようになりました。
・軍の陣地づくりや壕掘り作業に多くの人々がかりだされました。
・村内の小学校2校が学童疎開に出発しました。(1944年8月〜9月)
 豊見城第1国民学校(今の長嶺小学校)→宮崎県岩戸村、上野村へ
 豊見城第2国民学校(今の座安小学校)→宮崎県北郷村へ
・沖縄本島北部へ「ヤンバル疎開」が行われた。
 大宜味村喜如嘉・謝名城・田嘉里へ

戦争中

瀬長島(瀬長)
・アカサチ森壕跡(瀬長) 
・瀬長・田頭丘陵周辺構築壕群(瀬長・田頭)
・監視所跡(保栄茂)
田頭のシーサー(田頭)
・我那覇周辺の壕跡(我那覇)
・弾痕の残る石垣(金良)
・サバキナ壕跡(名嘉地)
・旧海軍司令部壕(豊見城)
・旧陸軍第24師団第2野戦病院壕(豊見城)
・特攻艇が配備された饒波川、タングチ流域(高安)

戦後の始まり

「伊良波収容所」跡 (伊良波)
・田頭収容所(田頭)
・海軍戦没者慰霊之塔(豊見城)
・濤魄之塔(豊見城)
・山部隊野戦病院患者合祀碑(豊見城)

遺骨収集と「慰霊碑」の建立
 沖縄戦が終わり焼け野原となった故郷で、人々がまず最初に取り組んだのは集落内のいたるところに野ざらしとなっていた遺骨の収集作業でした。戦争で身近な肉親・知人を失った多くの人々にとって、それは衣食住の確保、地域の復興と同じように心をゆさぶる大切なことだったのです。

 豊見城でも各地で遺骨収集が行われ、各字ごとに慰霊塔や納骨堂がつくられました。こうして納骨された遺骨は、その後1957 年( 昭和32)、那覇市識名にできた「戦没者中央納骨所」にまとめて移されることに伴い、各字にあった慰霊塔なども徐々に姿を消していったようです。
 
 識名の納骨所に祀られた遺骨は、さらにそのあと1979 年(昭和54)、厚生省が建立した糸満市摩文仁の国立戦没者墓苑に移され現在に至っております。そのような経緯で、いま豊見城市内には当初、建立された各字慰霊碑をはじめ沖縄戦関連の慰霊碑がほとんど残されていまませんが、現在、市内には上記の3 か所の沖縄戦関連慰霊碑が存在しております。 

 

「戦跡めぐり」などを行う際の注意点

1、必ずおとなの人と一緒に行動しましょう。とくに壕の中に進入したり山中に入ったりすることはたいへん危険です。

2、戦跡が個人の敷地内であれば、勝手に入って見学するのはマナー違反です。所有者等の了解を取り、当事者や地域に迷惑をかけないようにしましょう。
 


 

 

より大きな画面で 「豊見城市 文化財マップ」を見る
 

沖縄戦資料

沖縄戦に関する資料や施設、ホームページを紹介します。

豊見城市

豊見城村史 第6巻 戦争編

豊見城村史 第6巻 戦争編


 豊見城村史第6巻『戦争編』は、平成9年から本格的調査を行い、戦争体験者の証言記録、当時の日米の軍事記録、行政文書、統計資料などを収集し、分析・整理したものです。本巻では、豊見城村民が当時体験した沖縄戦の様相を具体的に記録することに重点をおき、さらに植民地やアジア太平洋の占領地での豊見城村民の体験記録にも力を入れました。各字ごとの動きや、戦災被害、県民の食糧事情や、戦闘協力のほか、悲惨な境遇を述べた有名な大田司令官の「沖縄県民斯ク戦エリ・・」の電文も収録されています。

詳しくは「市史編集の刊行物 豊見城村史 第六巻 戦争編」へ 
販売は文化課(中央図書館1階)と学校教育課(市役所4階)で平日のみ行っています。
図書館にも所蔵しています。豊見城市中央図書館ホームページから「豊見城村史 戦争編」で検索してください。

 

パンフレット 豊見城市の戦跡(2016)

 パンフレット 豊見城市の戦跡(2016)

豊見城市内の戦跡や豊見城の沖縄戦について簡単に紹介しています。
こちらからダウンロードできます!

文化課(中央図書館1階)で配布しています。

 

『語り継ぐ受け継ぐ豊見城の戦争記憶』映像資料ハンドブック

戦争体験等映像化事業で作成した同名の映像資料について、内容紹介と証言者個別の概略を紹介しています。
こちらからダウンロードできます!
現物の配布は終了しています。

図書館にも所蔵しています。豊見城市中央図書館ホームページから「『語り継ぐ受け継ぐ豊見城の戦争記憶』映像資料ハンドブック」で検索してください。

 

 

旧海軍司令部壕
豊見城市字豊見城と小禄にまたがる戦時中に使用していた日本海軍の司令部があった壕です。
現在沖縄コンベンションヴューローが管理をし、一般公開されています。

ホームページ
http://kaigungou.ocvb.or.jp/top.html

マップ

沖縄県内

『沖縄県史 各論編6 沖縄戦』(平成29年3月刊行、平成30年6月2刷)

沖縄県教育委員会ホームページ>沖縄県史料の紹介
https://www.pref.okinawa.jp/edu/bunkazai/kenshiryo_hanbai/kenshi_k8_zyoseishi/kenshiryoshokai.html

図書館にも所蔵しています。豊見城市中央図書館ホームページからで検索してください。
 


沖縄県平和祈念資料館
沖縄県の沖縄戦に関する資料館です。同公園内には平和祈念堂や平和の礎などがあります。

ホームページ
http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/


「戦世の記憶―戦争体験者多言語証言映像」を公開しています。
http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/evidence/


沖縄戦戦争体験証言集(沖縄平和学習アーカイブ)
http://peacelearning.jp/ 

マップ

ひめゆり平和祈念資料館
沖縄戦に学徒動員された沖縄女子師範学校と沖縄県立第一高等女学校の同窓生で設立された資料館です。

ホームページ
http://www.himeyuri.or.jp/JP/top.html

マップ

対馬丸記念館
本土疎開中に撃墜、沈没した対馬丸に関する資料館です。

ホームページ
http://tsushimamaru.or.jp/

マップ
養秀同窓会 一中学徒隊資料展示室
沖縄戦に学徒動員された沖縄県立第一中学校の同窓生で設立された資料館です。

ホームページ
http://www.youshu.com/dataroom.php

マップ


 



取り組み紹介事例

歴史民俗資料展示室

文化講座

語り継ぐ 受け継ぐ 豊見城の平和教育 ―これからの平和教育を考える―
2019年8月11日(日)終了しました

 今年、戦争体験者 31 名の証言映像「語り継ぐ 受け継ぐ 豊見城の戦争記憶」が完成しました。 今後、市内小中高校の平和教育において活用が期待されます。 そこで、教育実践や証言映像の内容や特徴について事例発表を行い、今後の平和教育について考えます。 これからの平和教育の現場に求められることについて意見を交わします。

1、豊見城市教育委員会文化課 「語り継ぐ受け継ぐ豊見城の戦争記憶映像について」

2、伊佐 真一朗 (沖縄国際大学非常勤講師) 「豊見城市の戦争証言における特徴」

3、古謝 将史 (豊見城中学校教頭) 「豊見城中学校における平和教育の実践と課題」

4、パネルディスカッション 「これからの平和教育について」


 

『語り継ぐ受け継ぐ豊見城の戦争記憶』(一括交付金事業)

2019年4月4日(木)
沖縄タイムス(27面)

 
2019年4月7日(日)
琉球新報(27面)
「戦争の記憶、証言映像に 学童疎開、学徒隊、南部避難・・・ 豊見城住民31人、市収録 完成試写会に涙 ユーチューブで公開」と紹介されました。

 
2019年4月7日(日)

 
2019年4月8日(月)
朝日新聞デジタル(ネット記事)

 
2019年4月8日(月)
沖縄デジタルアーカイブ研究所

 
2019.06.06(木)
NHK沖縄放送局
おきなわHOTeye
「沖縄戦 体験者の証言映像 公開」と紹介されました。

 
2019.06.07(金)
琉球新報
「戦争の記憶継ぐ 豊見城で企画展」と紹介されました。

 
2019.06.13
RBC THE NEWS
「豊見城中の平和教育 地元の証言から考える沖縄戦」と紹介されました。

 
2019.06.18
RBC THE NEWS
「シリーズ慰霊の日 令和に継ぐ(2)地元の証言から沖縄戦を学ぶ」と紹介されました。

 
2019.06.18
FMとよみスタッフ日記


2019.06.23(日)
沖縄タイムス(25面)
「戦後74年戦世刻んで 戦争体験者の証言紹介 豊見城市で慰霊の日展」と紹介されました。


2019.09
(公社)映像文化製作者連盟主催「映文連アワード2019」において、ソーシャル・コミュニケーション部門 部門優秀賞 受賞しました!!
<http://www.eibunren.or.jp/top/eibunren-award2019_4.html>


2019.09.15(日)
琉球新報(25面)
「「豊見城の戦争」優秀賞 映文連アワード2019 海燕社製作」と紹介されました。


2019.09.16(月)
沖縄タイムス(20面)
「映文連アワード県内作品優秀賞 「とみぐすくの戦争記憶」」と紹介されました。


戦争体験等映像化事業事務関係

戦争体験等映像化業務の企画公募について(平成29年度)

沖縄戦から70年余り経過する中、年々体験者から直接お話を聞ける機会が少なくなっています。そこで本事業では体験者の語り(証言)を撮影・編集し、平和教育に役立てることを目的に「戦争体験映像化事業」を行います。当事業を行うにあたり、企画提案を公募致します。詳しくは公募要綱をご覧ください。
 
公募期間
平成29年8月4日(金) ~ 平成29年8月23日(水)
 
資料
(1)公募要綱(PDF) ← 2017年8月24日 変更があり、修正しました。再度確認お願いいたします。
(2)企画公募仕様書(PDF)
(3)提出書類一覧等(ZIP)
(4)様式集(ZIP)
 
回答書
2017年8月18日更新
(5)回答書(PDF)



戦争体験等映像化業務の企画公募について(平成30年度)

 沖縄戦から70年余り経過する中、年々体験者から直接お話を聞ける機会が少なくなっています。そこで本事業では体験者の語り(証言)を撮影・編集し、平和教育に役立てることを目的に「戦争体験映像化事業」を行います。当事業を行うにあたり、企画提案を公募致します。詳しくは公募要綱をご覧ください。

公募期間

平成30年6月8日(金)~平成30年6月27日(水)

資料


このページは文化課が担当しています。

〒901-0232 沖縄県豊見城市伊良波392番地
TEL:098-856-3671   FAX:098-856-1215
問い合せはこちらから

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